出産はすごかった
4月16日に赤ちゃんを産みました。陣痛と出産、すべてがぶっとぶような体験だった。例えるなら真理の扉が開いて“すべて“が自分に流れ込んできたような、精神も肉体も、限界を超えて膨張していっちゃう感じかな…。自分がゴンさんになったと思いました。放心状態の中、産声をあげてる赤ちゃんの目元から涙がポロリと出ていて、もう涙が出るんだと思ったことは覚えてる。安産の部類だったけど、二回目はマジメに遠慮したい。
まあ実際に赤ちゃんに会ってみて、この時のためのこれまでの人生だったのか、ここにたどり着くルートだったのかと、感慨深かった。ネテロがメルエムと闘ったときの「感謝するぜ お前と出会えたこれまでの全てに!!」という台詞が頭に浮かぶ。闘いの中に自分の死を見たネテロだから、そこにいたるまでの人生を振り返ってこういう台詞が出てきた訳だけど、そういう意味では出産も死を見るような体験だったってことかな?!
いったん人生総括しちゃったけど、赤ちゃんとの生活は毎日が新しいスタートという感じなので…。頑張ってこなしていきたいね。
『ドライブ・マイ・カー』を見た
身体の向きが可愛い〜。こんなことを言われると(言われてないけど)つい嬉しくなってしまう。私も今がとっても幸せだよ。
おしるしもなく、前駆陣痛もなく、実家での平和な日々が続いている。3月末に実家へ移ってきたときには、陣痛への恐怖にメンタルが傾いていた。今ははやく会いたい気持ちの方が勝ってるかな。
『ドライブ・マイ・カー』、映画館で観れて本当に良かった!良い映画だった・・・。「何かが自分から決定的に失われた」という感覚が、とても繊細に、ゆっくりと重ねられていく。なので観ている間は先を急かされず(この先どうなるんだろう?と考えず)、ひとつひとつの場面に集中できた。そして終盤になって、失ってから時間が経ってわかることがあるのだと、主人公と同じタイミングで自然にストンと理解する。この脚本が本当にすばらしいな〜と思った。
NHKの番組で濱口監督が「役者たちはカメラを通して世界中からジャッジされる、それがどれだけのプレッシャーか、理解する必要がある」というニュアンスのことを言っていた。見られることへの覚悟・・・考えると怖いなと思った。少なくとも自分にはそういう覚悟はできない。その役者サイドに立った監督の態度が、素晴らしい演技を引き出した要因のひとつなんだろう。
子どもの名前を決めたり色々
3月に入ってからお腹がさらに重く、さらに苦しくなってきた。今までは序の口に過ぎなかったのか。なんか動けない時間がどんどん増えてきた。ゲームも長時間できない。そういうときはただ横向きに転がっているしかない。
後回しにしていた赤ちゃんの服の水通しもやっと終わった。買うものも買った。名前も決めた。もういつ産まれてもオーケー。
名前は結局自分が思いついた中で、いちばんいいなと思ってたやつになった。(それを気取られないように夫に提案したつもりだけど果たして...)結婚してから今まで住んでいる場所の地名からとりました。いつか引っ越すだろうし、なんかの理由で家族がバラバラになったりするかもしれない。そんなときにも原点に戻って、今ここには幸せがあったということを思ってほしい。自分たちも子どもも。
ロシアのウクライナ侵攻から2週間が経った。国連UNHCR協会に、すこしだけ寄付をした。いろんな寄付先があるけど、やっぱり最初に難民になった妊婦のことが頭によぎったので、難民支援に使われそうなところにした。自分が落ち着ける場所から突然切り離されて、安全じゃない環境で子どもを産まなきゃいけない。どれだけツラい状況か、想像しかできないけど...。