平野啓一郎の『文明の憂鬱』の中に写真についての章があった。筆者は作品としての写真を見ることは好きだけれど、記念として写真を撮ること、自分の写真を撮ることは嫌いだと言っている。そしてその理由のひとつとして、自分の記憶過多を挙げている。多すぎ…
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