トキオブログ

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超能力と物理学を繋ぐ アーサー・ケストラー『偶然の本質』

 大多数の人間にとってテレパシー・念動・予知・心霊術といったものは、フィクションとしては楽しめても、現実の世界にそれが存在するとは簡単には認めることが出来ない現象だ。けれど現代の物理学の世界では、素粒子といったミクロな世界から天文というマクロな世界まで深く入り込んでいけばいくほど「そうした世界の持つ非常に逆説的な、また常識を裏切る構造に気付かざるをえず、また見かけ上は不可能と思われることをも可能なものと認めるのに寛容になって行く」ものらしい。つまりそこでは、超常現象と言われるものもある程度受け止めることが可能になっているようだ。

 既存の枠組みにとどまりがちな学問の世界への反省も含めて、そうした学問と超能力のパラドキシカルな関係が、文系の自分にも理解しやすいような形でこの本に書かれている。著者がジャーナリストで、文系と理系の世界をつなぐ内容という意味では、立花隆の立場に似ているのかもしれない。

 特に面白いなと思ったのは、「予知」と「人間の意思」についての話。

 ドッブスという人の理論では、時間には二つの次元があり、その第二時間次元は矢のように決定論的に動く世界ではなくて、波面のような客観的確率によって貫かれている世界である。その未来の出来事についての客観的確率が、現在において潜在的な要素として含まれており、それが未来の出来事をあらかじめ示すという。ではその情報はどう伝達されるのかというと、プシトロンと呼ばれる仮説的な運び手によって運ばれるものだとされている。このプシトロンは現代の科学では観測できないもので証明も出来ないが、しかしニュートリノのような例を考えると無いとも言い切れない。

 ではこのプシトロンがどうやって通常の感覚器官に働きかけるのか、という問いに対して、エクレスという人の理論が紹介されている。エクレスは個人の「意思」の力がその個人の大脳の中に詰まっているノイロンに働きかけ、何百何千というノイロンの放電パターンの中で、最初に受けた影響が変化していくのだ、と主張した。そしてESPやPKといった現象も、こうした原理がより弱く不規則な形で現れたものとして、その理論の中に組み込もうとしている。つまり精神が物質としての大脳に働きかけるという意味で、二つは不可分な関係にあると言える。

 こうした理論を見ると、ロボットが人間のような意思を持つようになるのはまだまだ遠い未来なんだろうなと思う。人間は自らの生死に関してさえ非合理的な判断をすることがあるけれど、そういう非合理的な働きを人間に促すのは、因果に縛られない非合理的な物質(物質でないかもしれない)なのだろうか。

 前半もまあそうだけれど、後半三分の一はケストラー自身の理論が特に強く押し出されてくる。彼の作った「ホロン」という概念や「心=磁場」「多様性の中の統一」という考え方はこれを読んだだけではいまいちついていけなかった。ただ、人間を自己主張的な傾向と総合的な傾向の二面性を持った存在として捉え、その総合的傾向はエネルギーを減少させて進んでいくものではなく吸収したエネルギーからより高次の「秩序」を生み出すのだとしたケストラーの見方は、『真昼の暗黒』や『スペインの遺書』にあるような経験とも関連しているのだろうか、というところが気になった。

 ケストラーの理論の正当性を判断するのは、自分にはちょっと難しい。けれどこのアーサー・ケストラーという人物自体が非常に独創的な考えと複雑な経歴を持った人物で、この人がどうしてこういう関心を抱くことになったのかということはもっと追っていきたいと思う。

 

アーサー・ケストラー - Wikipedia

 

偶然の本質―パラサイコロジーを訪ねて (ちくま学芸文庫)

偶然の本質―パラサイコロジーを訪ねて (ちくま学芸文庫)