トキオブログ

思うことをうまく文章にしたいです

自分の女性観

 最近「女性の嫌いな女性」がよく話題に挙がってる気がする。そこで出てくる女性に嫌われる女性像の中に理解できるものが無いとは言わない。ただ「女性の嫌いな女性」で盛り上がるその場所に入り込んでいくことは自分には難しいと思った。

 自分の女性嫌いというのは、昔からまず何よりも自分自身に向けられるものだった。自分は論理的に物事を考えるのがとても苦手で、自分の認識では頭の良い人=物事を論理的に考えられる人っていう方程式が成り立ってたから、自分の頭の悪さにはめちゃくちゃ嫌気がさしていた。ただ最近になって自分がうんざりしていたのは、頭の悪い自分というよりも、まあよく女性一般の特徴と言われるような情緒的または感覚的な側面を持つ自分の女っぽい部分だったんじゃないかと思った。不思議なことにそれに気づいた途端、なんかそれでもいいのかもしれないなあと少し思えるようになった。
 
 自分だって他の女の人を見て「なんで自分の中の女性に疑問を持たないまま素直に可愛い女性として生きていけてるんだ?」と思うことはよくあった。「それともこの人たちは自分の中の女性を認識した上で女性を謳歌しているのか?そんなこと自分に出来るのだろうか?」とかね。ただとにかく、自分の外部に自分の嫌いな女性像を求めるという行為は、それをすることによって自分がますます女性というものに絡めとられてしまう不毛な戦いのような気がする。でもそれを自覚してなお挑むとすれば、その人は凄いなと思う。

 こういう女性嫌いの自分だけど、伊丹十三の女シリーズで活躍する、宮本信子演じる主人公の女性たちは永遠の憧れだ。彼女たちはみんなファッションセンスが良く、頭の回転が速く、肝っ玉は男よりもすわっていて、その場をパッと明るくする太陽のような女性なんだよね。宮本信子自身がとても綺麗な人だけど、ある写真で見た時に下の歯が一本ちょっと前に出てて、あ、美人だけどここは自分と一緒だなあと思って、それで決定的に好きになってしまいました。ああいう女性にしかない美しさと明晰さと明るさを兼ね備えているような女性に自分はなりたかった。

 

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