トキオブログ

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制御できない私の心 『フォックスキャッチャー』

『フォックスキャッチャー』を観てきました。


映画『フォックスキャッチャー』予告編 - YouTube

  レスリングの五輪金メダリストながらその日暮らしの生活を送るマーク・シュルツ。同じくレスリングの五輪金メダリストでさらにコーチとしての才能を持つマークの兄デイブ・シュルツ。そしてスポンサーとしてシュルツ兄弟を自分のレスリングクラブ「フォックスキャッチャー」に誘う大富豪、ジョン・デュポン。この3人を巡る実話がこの映画の下敷きとなっている。
  レスリングに限らずどんなスポーツでもメンタル面はときに試合を大きく左右する。特にマークの場合、肉体的には完成されてるけれど(チャニング・テイタムの肉体美!)、そうした精神的な波が試合に強く影響を及ぼしてしまう。ある時からマークは兄のデイブを遠ざけるようになるけれど、それからの試合はまったくといっていいほど上手くいかない。マークにとって実力的に勝る兄の技術的なアドバイスはたしかに重要だった。けれどマークはそうした技術面よりもむしろ精神面において兄という師の存在を必要としていたと言えるだろう。それにしても兄と仲直りしたあとに90分で5キロ落としたのにはビックリしたけど。
  一方でジョン・デュポンもまたかなりメンタル面が不安定な人物である。彼は超がつくほどの資産家であり、鳥類学者であり、収集家であり、愛国者であり、そしてレスリングのスポンサーでもある。最初は大金持ちにありがちな少々エキセントリックな人なのかなと思わせるぐらいなんだけど、物語が進むにつれて、エキセントリックというよりもマッドとも言える彼の側面が過剰に現れてくる。
  そういう彼のメンタル面を支えたり、時には本気で叱咤してくれるような、マークにとってのデイブのような存在はデュポンには一人もいない。デュポンは常に腫れ物であり、誰も彼には逆らわないが、一方で誰一人深く関わることを避けるような人間だった。レスリング場で銃をぶっ放そうが、納車された装甲車に文句をつけようが、突然演説会を始めようが、みんな彼に対しては何も言わないまま。上流階級のパーティーにマークを引き連れて参上したデュポンが、会う人全員に対して「あなたは金メダリストに会ったことがありますか?」と聞いて回るシーンがあった。そう話かけられた人は「いいえ、ないと思います」とか返したりしてたけど、いや絶対あるだろお前と思った。
  他にもデュポンは自分の後援で開いたレスリング大会に参加し、見事優勝するなんていう出来レースもやっている。デュポンはそのトロフィーを母親に見せる。しかし母親はレスリングは下品だと言い、その話をしようともしない。その母親が死んだ後は、母の愛したサラブレッドたちを放すことによって母に復讐する。
  彼は母以外の前ではいつでも自分の思い通りに振る舞えたし、圧倒的に支配者であり独裁者だった。けれど彼がもっとも望んでいた、人から精神的な師として敬われる夢は結局叶うことはなかった。彼がデイブに代わってマークにとっての師になれそうな瞬間はたしかに訪れた。けれどデュポンはその機会を自分の手で潰してしまい、そうなった時マークにはデイブがいたが、デュポンの周りには誰もいなかった。町山さんがマークとデュポンの関係性に言及していたけど、やっぱりこの物語は微妙に三角関係の物語だったと思う。
  母との関係、周囲との関係、性的な嗜好、薬物、精神的な問題といった鍵はそれぞれ見せられる。けれど結局なにが彼に引き金を引かせたのか、はっきりとした答えが提示される訳ではない。ただ彼の人生における欠落や孤独や狂気を丁寧にそっと一つ一つなぞる中で、自分では制御することのできない、人間の心の動きの複雑さや脆さといった側面が見えてくるように思った。
  デュポンは2010年に亡くなったということだったけど、本人の希望どおりフォックスキャッチャーのジャージに包まれて埋葬されたということで、ああ、やっぱり分からないなあと思う。