トキオブログ

思うことをうまく文章にしたいです

泉房穂元市長の記事と、妹の話

泉元市長のこの記事がXで流れてきた。

 

https://news.yahoo.co.jp/articles/83bd640a09e7819a0fb9394f1b238e8fe74d4eb3


 何気なく読んでみたら、最終的には号泣してしまった。あまりにも自分に重ねてしまうエピソードだった。


 四つ下の自分の妹は、重度の自閉症で知的障害がある。自分が小学五年生のとき、妹が一年生になり、妹は同じ小学校の支援学級に通うことになった。ちょうどその夏に、もう一人の妹が産まれている。妊婦・産後の母の代わりに、自分が一年生の妹と登校していた。トータル一年くらいだったと思う。

 一年生の妹との登校だが、とにかくめちゃくちゃハードだった。母にも大きくなってから、「なぜあんな大変なことを〇〇に頼んでいたのか、申し訳ない」と言われたくらい。

 妹は急に走り出したりと多動傾向が強く、自分の感情のコントロールが難しいのでパニックも頻繁にあった。小学校までの途中に児童館があって、まだ開いていないのにそこに入りたがって、大暴れすることが何度もあった。小学一年生の妹の力が、ものすごく強かったことはよく覚えている。11歳の子どもにはとても抑えられなかった。パニック状態なので「だめだよ!」という静止の言葉も、もちろん届くはずがなく、ランドセルを外して、児童館に無理やり入っていく。始業前の職員さんたちがビックリした目で見ていて、「ごめんなさい」と言いながら、なんとか引っ張って出て行った。児童館だけではなくて、普通の他人の家に入りたがったりして、家の前の植木を倒してしまい、謝ったこともあった。そんなこんなで、自分自身も遅刻してしまうことがたくさんあった。今日は何も起こらないでほしいと思って登校していた。なんで言うことを聞いてくれないのかと泣いた日もあった。

 振り返ってみて、あれは子ども(きょうだい)がやるべきことではなかったとはっきり言える。それを自分の親に言ってくれた周りの大人がいたのかいなかったのか、と考えると、そこまで言う人はいなかったんだろう、と思う。


 もうひとつ、運動会のエピソードが記事に出てきたが、それも自分の記憶と重なるところがあった。妹は大きな音、特にピストルの音は大の苦手で、運動会ではつねに耳を塞いでいた。ただいつかの運動会で配慮があって、妹の徒競走のときだけ、スタートの合図をピストルではなく笛にしてくれたときがあった。

 元々多動で走って逃亡するのが得意な妹は、なかなかのスピードで走って、まるで普通の子のようにゴールまで辿り着いた。あのときの驚きと信じられないくらい嬉しい気持ちが、記事を読んでいて蘇った。


 妹がいることが、自分に及ぼした影響は良くも悪くも大きい。ただ妹や親を恨むことはなく今過ごせていることは、とても運がいいことだと思う。

 

 妹は今28歳になった。こちらの言っていることは分かっているけど、基本的にコミュニケーションは難しい。自分も積極的に働きかけはしてないから、申し訳ないなとも思う。

 以前、妹の足の指にヒビが入っていたとき、数日間だれも気づけなかったことがあった。周りに痛みを訴えられなかった妹を思うと、その時に心の奥底から「自分が代わってあげたかった」という気持ちが湧いてきた。バスでめっちゃ泣いた覚えがある。そのときに、自分にとって妹がものすごく大切な存在だと気づくことができたのを、最後に書いておく。