トキオブログ

思うことをうまく文章にしたいです

凡人サラリーマンの悲哀 「狭小邸宅」

狭小邸宅 (集英社文庫)

狭小邸宅 (集英社文庫)



  この前、朝井リョウの「何者」を読んで冷や汗をかくような気持ちになったけど、この小説もそんな感じの気味が悪い小説だった。一度でも大学生と就活を体験したことがある人間が「何者」に居心地の悪さを感じるように、一度でも成績が求められる営業をやったこのある人間は、この小説に哀れな自分を見ずにはいられないと思う。
  主人公の松尾は典型的な売れない不動産の営業マンだ。その松尾の職場では、休日出勤、サービス残業、上司からのパワハラ、暴力、吊るし上げは日常茶飯事の出来事として描かれる。超がつくほどの体育会系の世界。遅刻をした新人は、テープで頭と電話を固定され、延々と営業の電話をかけることになる。松尾も「売れない」ので、来る日も来る日も上司にクソミソにこき下ろされ、それに日々耐えている。散々周りの人間に「営業に向いてない」「辞めた方が良い」と罵倒される松尾は、ここまでやられていて、なぜ辞めないのか?というところが小説の肝である。
  読み進めている途中で、いつの間にか松尾の凡人さに親近感を持っている自分に気づいた。仕事に疲れ、特出した能力もなく、かといって仕事を変えるでもなく、何かを待っているだけのサラリーマン。そんな風に埋もれていた松尾の存在が、ある案件を通して、社内でハッと際立つ瞬間が生まれる。それを契機に松尾は瞬く間に「売れる営業マン」になっていく。この辺りで、読んでいてすごくしんどい気持ちになった。なぜかというと、松尾の凡人さがよく分かるから。松尾が凡人というのは、さっさと独立する本当に優秀な後輩の存在を通してもよく分かる。結局凡人には、仕事を通して何者かになることなんか出来ない。自分でしか出来ない仕事なんていうのは、できっこないと自分は思う。そして薄々本人もそれに気付いている。にもかかわらず、「営業の成果」という麻薬が捨てられない、成果についてくる「評価」がどうしても捨てきれないのである。捨てきれないが故に、また今まで以上に、能力以上に頑張る必要が生まれる。「自分の成長」とか「仕事のやりがい」なんて言葉は結局、遅かれ早かれ、私たち凡人の首を絞めてしまう。営業の悲哀がここに凝縮されている。
  去年亡くなった任天堂の岩田さんのこんな言葉がツイッターで回っていたのを思い出した。
  やりがいをというよりも、自分が仕事で楽に動けるように頑張ることはあるかもしれない。頑張ったわりに楽にならないのが辛い。仕事では何者にもなれないから、自分のままで、楽にできる仕事が一番だと思う。
  岩田さんが凡人かどうかは別として、これほど凡人サラリーマンの道しるべとなる言葉はあるだろうか、という気持ちになった。

日記です

  先週に引き続き、今週も宅建士の登録のために必要な書類を集めに行っていました。今日は九段下の東京法務局に行って、「登記されていないことの証明書」をもらってきた。自分はこんな書類が存在することも知らなかったけど、今日行ったら窓口がめちゃくちゃ混んでいてびっくりしたよ。一瞬待合席が埋まってしまって座れない人が出るくらい。しかもよく見てると、1枚で申請している人は少なくて、皆4枚と、5枚と受け取っていたりする。ある人たちにとっては、この書類はそんなにたくさん使う機会があるものなんだね。全然知らない世界をチラッと見た気分だった。
  九段下駅を出てすぐ、九段会館があった。初めてちゃんと見たけど、すごくカッコいい建物だった。和と洋の力強さが融合した、堂々とした建物だ。しかも宿泊施設が入っているとは!初めて知って、ちょっと泊まってみたいなと思った。
  仕事は繁忙期が終わって、色々落ち着いて考えることができる時期になったのでうれしいね。繁忙期は成績トップだった。トップだと安心する。これ以上頑張らなくていいんだと思えるので。ボーナスももらえるし、良いことだよ。
  そして暇になったので、いよいよ英語をやる必要がある。中間ゴールがないと辛いので、TOEFLを受けようかなと思ってる。IELTSのことも調べたんだけど、とりあえず日本での知名度はTOEFL が勝ってる気がするので、まあそっちでいいかと思った。TOEFLは毎月土日に3、4回試験が開催されてるらしい。自分の場合はおおよそ3〜4ヶ月が、勉強をちゃんと継続できる目安だと思ってるので、試験日は8月5日(土)にしてみよう。そして目指す英語レベルの目標ですが、「例えるなら自分の運転技術くらい」を見据えています。壊滅的に下手ではない。最短ルートではないかもしれないが、一応行きたいところには行ける。ただ交通量が多く広い道路は苦手なので、そういうのはごまかしながら避けて行く。それくらいの感じで(どんな感じだよと言われても困る)英語ができるようになりたいね。

「キレる人」考

  訥々とした話し方や、落ち着いた慎重な物事の進め方に、自分が勝手に好感を持っている50代位のお客さんがいる。そのお客さんが、あるちょっとしたこと(お客さんの持ち物を間違えて少しだけ動かしてしまった)で、他の女性社員を「お前」呼ばわりをしたと言う話が社内で話題になっていて、かなりビックリしたのが今週のハイライトです。
  自分は接客していて、その場面に居合わせなかった。それにしても初対面のろくに話したこともない人間を「お前」呼びしちゃうのかーと、未だに信じられない気持ちです。その話を聞いたあとに戦々恐々としながら会ったけれど、いつものあの調子だった。ゆっくり静かに慎重に話していた。
  たまたまあの日、虫の居所が悪かったということなのかもしれない。けれど個人的には、それがあの人なんだなーという気がします。頭が良く、社会的な地位が高く、普段は物分かりも良い人にそういう人は多い気がする。自分の評価軸がハッキリとあるから、納得できないことに対して、こちらが引いてしまうほどノーを突きつける。怒りにすら感じられる拒絶のエネルギー。
  そういう人とどう付き合っていくかだけど、まず出来る限りスイッチに触れないようにする。無駄なダメージを与えられるのはこちらだから。でも時にはスイッチを押してしまうことも辞さない位の覚悟で接していく。そうでないと、あの類の人たちと誠意のある付き合いというのは成り立たないんじゃないでしょうか。あぁ…自分もいつか「お前」呼ばわりされるのか…めちゃくちゃされそう。されることやっちゃいそう。まあとにかく、今の自分はあの人に好感を持っているのは確かで、仲良くはならなくてもいいから、今のまま穏やかな関係でいれたらそれが一番いいよね。