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トキオブログ

思うことをうまく文章にしたいです

どこで救いを諦めるのか 『アメリカン・スナイパー』

 クリント・イーストウッドの『アメリカン・スナイパー』を観てきました。映画の主人公はアメリカ海軍の最強特殊部隊であるネイビーシールズで「伝説」と呼ばれた実在の狙撃、クリス・カイルという人物だ。緊張の連続である戦場と家族との穏やかな日常のギャップの中で苦しんだ彼の体験がこの映画のベースになっている。
 


映画『アメリカン・スナイパー』予告編 - YouTube

 

 それにしてもこの「伝説」という名前こそが、彼の人生に重すぎる重石としてのしかかっているように思えた。初陣にも関わらずイラクで大活躍したクリスは、「伝説」という通り名を友人につけられ、その後あらゆる人からそう呼ばれるようになる。さらに仲間からは、どんなに困難な任務でも仲間を後方から守る彼の存在こそが隊員たちを無敵にするとまで言われており、彼の狙撃手としての腕と人間性が高く評価されていたことが分かる。
 そのクリスが計四回もイラクに向かったのは、自分が行くことによって救える仲間の命があると感じていたからだと思う。それがよく分かるのは、アメリカでの日常に戻って、生まれたばかりの娘が新生児室の中で泣いているのをクリスが見る場面だ。娘が大泣きしているのにも関わらず、新生児室の中にいる看護師は他の赤ちゃんに構っていて、娘には目もくれない。それを外から見ていたクリスは部屋のガラスを何度も強く叩き、「娘のところに行ってくれ!」と看護師に訴え続ける。目の前に救いを求めている人がいるのにも関わらずそれを自分が救えない、そういう「日常」の中にいるクリスの無力感が、何とも言えず胸に突き刺さってくる場面だった。
 イラク戦争は文字通り泥沼の戦争になった。どれだけ人を救ったとしても、その間から零れ落ちるように人は死に続ける。戦争は終わりがないように続き、後遺症を抱える退役軍人は増え続ける。そうした救いのない状況の中で、一体どこを自分の落としどころというか、引き際にするのかというのはすごく難しい問題だ。クリスは退役軍人のサポートに回ることで、戦場に行かずに人を救う道を得ることが出来た。それがああいう結果となってしまったとは全然知らなかったので、ラストは結構ショックだったな…。
 今これを書いていて思い出すのは後藤さんのことだ。後藤さんも自分なら湯川さんを救えるかもしれない、そういう使命感を持ってシリアに入り、殺されてしまった。後藤さんは一体どこを引き際にすればよかったんだろうか。今現在日本には軍人はとりあえずいないし、戦争で目に見える傷を負った人を目にすることもそうそうない。でもそれは本当に稀有な状況であって、あの殺害動画のように、スコープの中の子どものように、見たくないものを直視しなくてはいけないときがこれから来るのかもしれない。